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【ごん狐】(ごんぎつね)とは ーあらすじだけじゃもったいない。日本人の国語力を支える名作ー

新美南吉作の児童文学。小学校国語教科書の教材の定番ともいえる作品

 

 

子供たちの国語力が低下しているというニュースがありました。

その例として「ごん狐」のワンシーンの読み間違いが指摘されていました。 

 

 

子供たちの国語力を向上させるには、大人たちの国語力を向上させる必要があります。

 

 

教科書に載るのが定番の「ごん狐」は大人が軽々読み解けて当たり前でなくてはなりません。でも、内容おぼえてますか? 

 

 

少し長いですが、読み終えた後には余韻が残るようなそんなお話ですので是非復習してみてください。

 

 

ごん狐(ごんぎつね)新見南吉  全文

 

 これは、私が小さいときに、村の茂平(もへい)というおじいさんからきいたお話です。

 

 昔は、私たちの村の近くの、中山というところに小さなお城があって、中山さまというおとのさまが、おられたそうです。

 

 その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐」という狐がいました。ごんは、1人ぼっちの小狐で、しだのいっぱいしげった森の中に穴をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。畑へ入って芋をほりちらしたり、菜種(なたね)がらの、ほしてあるのへ火をつけたり、百姓家(ひゃくしょうや)の裏手につるしてあるとんがらしをむしり取っていったり、いろんなことをしました。

 

 ある秋のことでした。二、三日雨がふりつづいたその間、ごんは、外へもでられなくて穴の中にしゃがんでいました。

 

 雨があがると、ごんは、ほっとして穴からはい出しました。空はからっと晴れていて、百舌鳥(もず)の声がキンキンひびいていました。

 

 ごんは、村の小川の堤(つつみ)まで出て来ました。あたりの、すすきの穂には、まだ雨のしずくが光っていました。川は、いつもは水が少ないのですが、三日もの雨で、水が、どっとましていました。ただのときは水につかることのない、川べりのすすきや、萩(はぎ)の株が、黄色くにごった水に横だおしになって、もまれています。ごんは川下の方へと、ぬかるみ道を歩いていきました。

 

 ふと見ると、川の中に人がいて、何かやっています。ごんは、見つからないように、そうっと草の深いところへ歩きよって、そこからじっとのぞいてみました。

 

「兵十(ひょうじゅう)だな。」と、ごんは思いました。兵十はぼろぼろの黒い着物をまくし上げて、腰のところまで水にひたりまがら、魚をとる、はりきりという、網をゆすぶっていました。はちまきをした顔の横っちょうに、まるい萩の葉が一まい、大きなほくろのようにへばりついていました。

 

 しばらくすると、兵十は、はりきり網の一ばん後ろの、袋のようになったところを、水の中から持ち上げました。その中には、芝の根や、草の葉や、くさった木ぎれなどが、ごちゃごちゃ入っていましたが、でもところどころ、白いものがきらきら光っています。それは、ふというなぎの腹や、大きなきすの腹でした。兵十は、びくの中へ、そのうなぎやきすを、ごみといっしょにぶちこみました。そしてまた、袋の口をしばって、水の中に入れました。

 

 兵十は、それから、びくを持って川から上がり、びくを土手においといて、何をさがしにか、川上の方へかけていきました。

 

 兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと草の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちょいと、いたずらがしたくなったのです。ごんはびくの中の魚をつかみ出しては、はりきり網のかかっているところより下手の川の中を目がけて、ぽんぽん投げこみました。どの魚も、「とぼん」と音を立てながら、にごった水の中へもぐりこみました。

 

 一ばんしましいに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、なにしろぬるぬるとすべりぬけるので、手ではつかめません。ごんはじれったくなって、頭をびくの中につっこんで、うなぎの頭を口にくわえました。うなぎは、キュッといって、ごんの首へまき付きました。そのとたんに兵十が、向こうから、
「うわァ、ぬすと狐め」と、どなりたてました。ごんは、びっくりしてとび上がりました。うなぎをふりすててにげようとしましたが、うなぎは、ごんの首にまき付いたままはなれません。ごんは、そのまま横っとびにとび出していっしょうけんめいに、にげていきました。

 

 ほら穴の近くの、はんの木の下でふりかえってみましたが、兵十は追っかけては来ませんでした。

 

 ごんは、ほっとして、うなぎの頭をかみくだき、やっとはずして穴の外の、草の葉の上にのさえておきました。

 

 

  

 十日ほどたって、ごんが、弥助(やすけ)というお百姓の家の裏をとおりかかりますと、そこの、いちじくの木のかげで、弥助の家内が、おはぐろを付けていました。鍛冶屋の新兵衛(しんべえ)の家のうらをとおると、新兵衛の家内が、髪をすいていました。ごんは、
「ふふん。村に何かあるんだな。」と思いました。
「なんだろう、秋祭りかな。祭りなら、たいこやふえの音がしそうなものだ。それに第一、お宮にのぼりがたつはずだが」

 

 

 こんなことを考えながらやってきますと、いつの間にか、表に赤い井戸のある、兵十の家の前へ来ました。その小さな、こわれかけた家の中には、大勢の人が集まっていました。よそいきの着物を着て、腰に手拭を下げたりした女たちが、表のかまどで火をたいています。大きななべの中では、何かぐずぐず煮えていました。  
「ああ、葬式だ」と、ごんは思いました。
「兵十の家のだれが死んだんだろう。」

 

 お午(おひる)が過ぎると、ごんは、村の墓地へ行って、六地蔵(ろくじぞう)さんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠く向こうには、お城の屋根がわらが光っています。墓地には、ひがん花が、赤い布(きれ)のようにさき続いていました。と、村の方から、カーン、カーンと鐘が鳴ってきました。葬式の出る合図です。

 

 やがて、白い着物を着た葬列の者たちがやってくるのがちらちら見え始めました。話し声も近くなりました。葬列は墓地へ入って来ました。人々が通った後には、ひがん花が、ふみ折られていました。

 

 ごんはのび上がって見ました。兵十が、白いかみしもを付けて、位牌をさげています。いつもは、赤いさつま芋みたいな元気のいい顔が、今日はなんだかしおれていました。
「ははん。死んだのは兵十のおっかあだ」

 

 ごんは、そう思いながら、頭をひっこめました。

 

 その晩、ごんは、穴の中で考えました。
「兵十のおっかあは、床についていて、うなぎが食べたいと言ったにちがいない。それで兵十がはりきり網を持ち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎを取って来てしまった。だから兵十は、おっかあにうなぎを食べさせることができなかった。そのままおっかあは、死んじゃったにちがいない。ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいと思いながら、死んだんだろう。ちょッ、あんないたずらをしなければよかった」

 

 

 

 兵十が、赤い井戸のところで、麦をといでいました。

 

 兵十は今まで、おっかあと二人きりで、貧しいくらしをしていたもので、おっかあが死んでしまっては、もうひとりぼっちでした。
「おれと同じひとりぼっちの兵十か」

 

 こちらの物置の後ろから見ていたごんは、そう思いました。

 

 ごんは物置のそばをはなれて、向こうにいきかけました。どこかで、いわしを売る声がします。
「いわしの安売りだァい。生きのいい、いわしだァい。」

 

 ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。と、弥助のおかみさんが裏戸口から、
「いわしをおくれ。」と言いました。いわし売りは、いわしのかごをつかんだ車を、道ばたに置いて、ぴかぴか光るいわしを両手でつかんで、弥助の家の中へ持って入りました。ごんは、そのすきまに、かごの中から、五、六匹のいわしをつかみ出して、もと来た方へかけ出しました。そして、兵十の家の中へいわしを投げこんで、穴へ向かってかけもどりました。途中の坂の上でふり返ってみますと、兵十がまだ、井戸のところで麦をといでいるのが小さく見えました。

 

 ごんは、うなぎのつぐないでに、まず一つ、いいことをしたと思いました。

 

 次の日には、ごんは山で栗をどっさり拾って、それをかかえて、兵十の家へ行きました。裏口からのぞいてみますと、兵十は、昼飯を食べかけて、茶椀を持ったまま、ぼんやりと考えこんでいました。変なことには、兵十の頬ぺたに、かすり傷がついています。どうしたんだろうと、ごんが思っていますと、兵十がひとりごとを言いました。
「いったいだれが、いわしなんかをおれの家へほうりこんでいったんだろう。おかげでおれは、盗人と思われて、いわし屋のやつに、ひどい目にあわされた。」と、ぶつぶつ言っています。

 

 ごんは、、これはしまったと思いました。かわいそうに兵十は、いわし屋にぶんなぐられて、あんな傷まで付けられたのか。

 

 ごんは、こう思いながら、そっと物置の方へ回って、その入口に栗を置いて帰りました。

 

 次の日も、その次の日も、ごんは、栗を拾っては、兵十の家へ持ってきてやりました。その次の日には、栗ばかりでなく、まつたけも、二、三本持っていきました。

 

  

 月のいい晩でした。ごんは、ぶらぶら遊びに出かけました。中山さまのお城の下を通って少し行くと、細い道の向こうから、だれか来るようです。話し声が聞こえます。チンチロリン、チンチロリンと松虫が鳴いています。

 

 ごんは、道の片側にかくれて、じっとしていました。話し声はだんだん近くなりました。それは、兵十と加助(かすけ)というお百姓でした。
「そうそう、なあ加助。」と、兵十が言いました。
「ああん?」
「おれあ、このごろ、とても、ふしぎなことがあるんだ。」
「何が?」
「おっかあが死んでからは、だれだか知らんが、おれに栗やまつたけなんかを、毎日、毎日くれるんだよ。」
「ふうん。だれが?」
「それが、わからんのだよ。おれの知らんうちに、置いていくんだ。」

 

 ごんは、二人の後をつけていきました。
「ほんとかい?」
「ほんとだとも。うそと思うなら、あした見に来いよ。その栗を見せてやるよ。」
「へえ、へんなこともあるもんだなァ」

 

 それなり、二人はだまって歩いていきました。

 

 加助がひょいと、後ろを見ました。ごんはびっくりして、小さくなって立ち止まりました。加助は、ごんには気が付かないで、そのままさっさと歩きました。吉兵衛(きちべえ)というお百姓の家まで来ると、二人はそこに入っていきました。ポンポンポンポンと木魚の音がしています。窓の障子にあかりがさしていて、大きな坊主頭がうつって動いていました。ごんは、
「おねんぶつがあるんだな。」と思いながら、井戸のそばにしゃがんでいました。しばらくすると、また三人ほど、人が連れ立って、吉兵衛の家に入っていきました。お経を読む声が聞こえてきました。

 

 

 

 

 ごんは、おねんぶつがすむまで、井戸のそばにしゃがんでいました。兵十と加助はまたいっしょに帰っていきます。ごんは、二人の話を聞こうと思って、ついていきました。兵十の影法師をふみふみいきました。

 

 お城の前にまで来たとき、加助が言い出しました。
「さっきの話は、きっと、そりゃあ、神さまのしわざだぞ」
「えっ?」と、兵十はびっくりして、加助の顔を見ました。
「おれは、あれからずっと考えていたが、どうも、そりゃ、人間じゃない、神さまだ、神さまが、お前がたった一人になったのをあわれに思わっしゃって、いろんなものをめぐんでくださるんだよ」
「そうかなあ」
「そうだとも。だから、毎日、神さまにお礼を言うがいいよ」
「うん」

 

 ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思いました。おれが、くりや松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼を言わないで、神さまにお礼を言うんじゃァ、おれは、ひきあわないなあ。

 

 

  

 その明くる日もごんは、栗を持って、兵十の家へ出かけました。兵十は物置で縄をなっていました。それでごんは、家の裏口から、こっそり中へ入りました。

 

 そのとき兵十は、ふと顔を上げました。と狐が家の中へ入ったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがった、あのごん狐めが、またいたずらをしに来たな。
 「ようし」

 

 兵十は、立ち上がって、納屋にかけてある火縄銃をとって、火薬をつめました。

 

 そして足音をしのばせてちかよって、今戸口を出ようとするごんを、ドンとうちました。ごんは、ばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。家の中を見ると、土間に栗がかためて置いてあるのが目につきました。
「おや」と、兵十はびっくりしてごんに目を落としました。
「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」

 

 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。

 

 兵十は、火縄銃をばたりと、取り落としました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。(おわり)

 

底本:「 新美南吉 童話 集」 岩波 文庫、 岩波書店

 

 

忙しい人の為の「ごんぎつね」あらすじ

いたずら狐の「ごん」は、村人兵十が病気の母に食べさせるためにとらえたうなぎを盗む。

  

ところが母に死なれてひとりになった兵十を気の毒に思い、まつたけや栗(くり)などを兵十の家に投げ込む。

 

 

しかし兵十は、ごんを鉄砲で撃ってしまった後、真実を知った。

 

 

しりとり先生
しりとり先生
ごんぎつねを小学生が理解するのってすごく大変な気がします。大人だって理解できないとこありますし。

Twitter:しりとり先生 @siritorifun (フォローお待ちしております)

 

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